岡市 尚士
壊れゆく実家にわき目もふらず夢に向かって走り、野望のためなら手段を選ばず友達を切ることさえ厭わない俺は人としてクズなのか 「プロレス好きのバンドマンが柔術黒帯になるまで/第94話」
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日韓ワールドカップに日本列島が沸き!
ボブサップの殺人パワーボムに苦しめられたノゲイラが勝利し!
チャンスの神様が俺らBOSTON☆CLUB BANDに向かって歩いてこようとしている・・!
そんな2002年、夏
母さんから届いた手紙で
親父が、田の浜の実家を出て行った事を知りました。
-目次-
- 父
- 離婚
- 悩みの種
- 退任勧告
- エグい人選
- チャンスの神様
父
親父は第二次世界大戦終戦から四年後の1949年5月3日。岩手県下閉伊郡山田町船越田の浜に生まれました。
姉二人、妹二人に挟まれ5人兄弟中、唯一の男の子ということで親戚中からも大変可愛がられ育てられたんだろうなという印象です。
祖母の話では、成績優秀で水泳が得意だったそうです。音楽が好きで、高校生の頃には吹奏楽部以外に、ベンチャーズの影響でギターを始め、同級生らとバンドも組みます。卒業後は近所の「田の浜タクシー」勤務を経て、測量士の道に進み、やがて独立。3人の子宝にも恵まれました。
当シリーズの序盤小学生の俺と頻繁にバトっていた母親と違って
親父から口うるさく言われた事なんか一度もありませんでした。
ていうか平日は家で顔を合わせた事がほとんどありません。
親父の会社は、そこそこ大きい仕事を請負っていたと思われるので、単純に忙しかったんでしょう。
1992年、岩手県沿岸3会場(宮古/山田/釜石)で開催された三陸海の博覧会に先駆け、山田町船越「鯨と海の科学館」真横に大きい道路が開通しましたが
あの道路の設計を担当したのは親父の会社です。
その反面。休日、家にいる時の親父は寝っ転がって、屁をこきながらテレビをザッピングしてるだけのナマクラでした。
家事をやっている姿なんか一度たりとも見たことがなければ、遊び相手になってもらったことすら一度もない。午後になると麻雀か将棋を打ちに一人で出かけてしまう。
そんな、家庭の事に関しては完全放置の親父でしたけど。外では顔が広く。庶民がなかなか味わえない恩恵は与えてくれました。
元・政治家の玉澤徳一郎先生(2019年、銃撃されたことが報じられた)と交流のあった親父のおかげで、1992年に宮古で催された玉澤先生の講演会のゲストで来たダチョウ倶楽部とステージ上で絡ませていただき。後日、玉澤先生を通じて自宅にダチョウ倶楽部のサインが送られてきたこともありました。
そして何より、俺がこうなったのは間違いなく親父の影響なんでしょう。
部屋に乱雑に置かれてた週刊プロレスを手に取って、AVを発見し(笑)
まあ、手ほどきなんか受けたことがないけど。
プロレスの知識も、ギターも、もちろんエロも(笑)
そんな親父が冬の時代の矢面に立たされていました。
離婚
「お母さんしかいない同級生」という存在は小学生ぐらいの頃から周りにいました。
また、そういう存在が稀にいたせいか「離婚」という言葉も、特に誰に聞いたわけでもなく自然とインプットされていたように思います。
世の中には「親が片方しかいない人生」に生まれてしまった人と「両親がいる人生」に生まれた人がいて
後者の人生を歩んでる俺と、前者である彼らは全く違う種類の人生を歩んでる。
そんな悲しい発想しか浮かんでこないくらい能天気な人間に育ってしまったものですから
上京後、届くようになった母さんからの手紙が、回を重ねる毎にシリアスな内容になっていこうが
「どうせ、なんとかなるだろう」と
そして最終局面が伝えられた手紙の文面を以ってしても全くリアリティーが感じられず。
どこか他人事っていうか
まあ当時はこんな感じでしたけど、その後の人生に多少の影は落としますよね。
しかし不幸中の幸いで俺ら兄弟全員、高校も卒業したあとだったので人格形成に影響が出ることは無かったんですけど、
やっぱり帰省のたびにいちいち気を遣うし。当時の件に関してノータッチだった事で、それまで開き直っていたクソ野郎だった自分を恨めしく思ったりもしますし。
でも、まあ当人達の人生ですし。もちろん、このカタチに行き着くまで、ありとあらゆる外的影響を考えに考え
その上で出た答えなんでしょうから、原因を誰かのせいにするなんてのは、例え子供であってもやっちゃいけませんので
だからもうこれは「不景気のせい」としか言えないんですけど
ただ。半端に情が残ってるのが、なんだかなぁ。。 なんですよね。
「金輪際、実家なんか知らねえ」くらい冷酷に徹することが出来れば、どれだけ楽か。
ただ直後は、現場の惨状を想像してあげられるほどの思いやりが自身に欠落してるせいなのか、さっきも言いましたが全然リアリティーが感じられなくて
新日本プロレスを退団した武藤敬司らの時と同じような感じで、ライブのMCでも話してたくらいで。もちろんお客さんドン引きしてましたけど(笑)
それよりも
全然別の、悩みの種を抱えていました。
最近、ドラムのキヨシのやる気が全く感じられないというか・・
悩みの種
キヨシは最近、仕事の調子がとても良いらしい。
喜ばしいことです。
ただ、口を開けば、ずーっと仕事の話ばかり
いや悪いことじゃないですよね?仕事の話をするって
でも俺らって何者?
バンドマンじゃないの?
どうしたキヨシ
二年前、上京した俺を迎えに来てくれたキヨシは、まだ新聞屋に住み込んでて超ビンボーだったけど
いつもドラムスティック入れたPearlのケース肩からぶら下げてて
そんなキヨシから最近、大好きなはずのオアシスとかニルヴァーナの話なんか聞いてないぞ
なんつーか、、仕事人間・・
バンドの話しても全然楽しそうじゃないし
次のバンド練習の日取り決める時も渋々、了承してる感じだし
ライブの日もリハの時間ギリギリにライブハウス来て、本番終わるとすぐに仕事仲間のところ戻って行く
本番のステージだけキヨシはいるけど
それ以外はタカノリと俺の2人だけで、どうもBOSTON☆CLUB BANDです〜。みたいな感じで日々活動している状況が、ずーっと続いている。
いや今、振り返るとね
まだ、やる事なんてそんな多くないし
ステージだけ頑張ってりゃ良いじゃん!
仕事あるんだし、バンドで食えてないんだから
、、という考え方もできますが
でもね、何か違うんですよ・・
気持ちだね!
魂!
こちとらバンド以外のこと、全部犠牲にして生きてる。
もちろん魂があったからっつってバンドがうまくいくワケではないんですけど
でも魂だけはゼッタイに消して欲しくないんですよ。
かつて新日本に戻ってきた第一次UWF勢が、その魂だけは意地でも消さなかったように
キヨシにも、俺とタカノリと同じレガースを履いて、同じ思想を持った戦士として一緒に戦って欲しいんですよ!
今、めちゃくちゃ大事な時期ですから。
動員も増えてきて、イベントのオファーも次々と来るようになってるし。
だから他バンドの芝生が青く見えて仕方なかった。
他も俺ら同様に大事な時期ですから。ちゃんと足並み揃ってる(ように見える)んですよ。
特にスネアーのドラム/マコリなんて、ライブ当日、誰よりも早くライブハウス来て、打ち上げも始発まで必ず居ますからね。他イベント終演後のビラ撒きにも積極的に来てたし。
心底うらやましかった。
だからタカノリと「これから、どうすっかぁ、、」って・・
俺はハッキリ言って限界でした。
退任勧告
「やる気がないんだったら辞めてほしい」
言ってしまいました。
こみ上げてくるゲロのように、もう我慢できませんでした。
しかし意外なことに
キヨシはあっさり承諾しました。
この時どういう気持ちだったのか本人に直接聞いた事はありませんが
もしかしたら売り言葉に買い言葉で、つい勢いで承諾してしまったのかもしれません。
でも、自分を慕って岩手から東京に出てきた男に退任勧告を突きつけられて、心中が全く荒れていなかったとは考え難いでしょう。
俺を非情な人間と思ったかもしれません。
しかし、やる気のねえ奴の事なんか知ったこっちゃねえ!俺はいく。
そんな精神で次を見据えていた俺は
やっぱり非情な人間なのかもしれません。
こうしてキヨシのBOSTON☆CLUB BANDとしての歴史は、こんな風にして
悲しいくらいにあっさり終わりました。
そんな時でした。
「亮太が東京に来るらしい」という話を聞いたのは
エグい人選
亮太とは
宮古在住で。俺らより三学年下で。
ドラマーでした。
そんな亮太がバンドをやりに東京に出てくると!
めちゃくちゃタイミングが良すぎる展開なんですけど
ここで、普通の神経なら
「亮太を入れよう!」とはなりません。
なぜなら、亮太はキヨシのかつての愛弟子だったからです。
昔の記事でも触れましたが我々が高校生の頃、地元でライブが盛り上がっていた時代がありました。
そのライブには高校の同級生や後輩達だけじゃなく、宮古の中学生達もたくさん観に来てくれていて
その中学生軍団にいたのが亮太でした。
キヨシにドラムを教わってると紹介されたのが亮太の第一印象です。
そんな歴史的観点から見ると
師であるキヨシに辞めてもらい、弟子の亮太を誘うというのは
なんて残酷で、エグい人選なんですが
エグかろうが、非情と言われようが
全身全霊でバンドをやろうとしている、そんな人間と俺は一緒にやりたい!
こんな強引な形で、第二期形態のBOSTON☆CLUB BANDはリスタートしたわけなんですけれど
チャンスの神様は早々に近寄ってきました。
チャンスの神様
「是非ボストンにも参加してほしいと思ってるんだよね」
それは2002年夏の最後に打ち上げられた特大花火みたいなものでした。
亮太が合流して間もなくの頃
なんと我々にアルバム参加のオファーが舞い込みました。
下北沢ガレージが期待のバンド十数組を集めたコンピレーションアルバムの制作を計画しているらしく
第一弾を年末、第二弾を来春
リリースを2回に分けて予定していると、、
その第一弾の方に、
参加して欲しいという、まさかそんな夢みたいな話が!下北沢ガレージから提示されたのです!
日韓ワールドカップに日本列島が沸き!
ボブサップのパワーボムに苦しめられたノゲイラが逆転勝利し!
俺らにアルバム参加の話が舞い込んだ!
そんな2002年夏、
バンドは、おおむね絶好調!
おまけにこの頃は
タカノリの明治大学の同級生ケンゾウが作ってくれた「BOSTON☆CLUB BAND公式ホームページ」なるものも始動し、よそのバンドのホームページに
「お初です☆初カキコ失礼します!」などというネット黎明期特有の初々しい書き込みなんかしちゃったりして
親父が実家を出て行った悲しみとか・・
キヨシに辞めてもらった後ろめたさなんか・・
もうどっかに吹っ飛んでいました。
かつて、友達に代わってレスリングの試合に向けて10キロの減量を引き受けた頃の俺はもう居ません。
野望のためなら手段を選ばず、友達を切ることさえ厭わず
壊れゆく実家にわき目もふらず、夢に向かって走る
俺はすっかり
欲にまみれて薄汚れた
立派な、チンケなバンドマンでした。
つづく
次回「満を持してK-1にやってきた2002年秋のボブサップと下北沢のバンドマン達」←読めます。
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この記事を書いた人
岡市 尚士
ブラジリアン柔術黒帯。第17回茶帯全日本ブラジリアン選手権大会優勝。茶帯全日本マスターズ選手権優勝、茶帯全日本ライトフェザー級2位、JBJJF全日本マスターズ選手権マスター1紫帯ライトフェザー級優勝、全日本コンバットレスリング選手権大会/58キロ級3位、レスリング岩手県高総体/52キロ級準優勝、レスリング岩手県民体/56キロ級準優勝、レスリングジュニアオリンピックカップ/48キロ級3位と多彩な実績を持つ。
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