岡市 尚士
2002年上半期、格闘技ブーム夜明け前のマット界と下北沢ライブハウス界隈 「プロレス好きのバンドマンが柔術黒帯になるまで/第93話」
2001年。ようやく、21歳にして飛び込んだ下北沢ライブハウスの世界
目の前にあったのはサクセスストーリーなんかではなく、貧困と戦わざるを得ないリアルなバンドマン生活(前回)でした。
大晦日もバンドの予定なんかなく、テレビで安田忠夫の奇跡に雄叫びを上げていたところ
部屋に突然ズカズカ上がり込んできた
スーパー「ライフ」のパン屋の同僚で俺と同じく貧困と戦うバンドマン/中島
「お前らはいいよなぁ、ライブができて」
酔っ払った中島の、いいちこ片手のボヤキを聞きながら、年を越すハメになってしまった2001年なんですが
中島の言う通り
明けた2002年はバンドにとって良い年になります。
特に2002年上半期は
天地変動のごとし、良くも悪くも磁場が荒れに荒れたシーズンだったように思います。
マット界も、バンドも、田の浜の実家も・・
この年は、超サッカー音痴の俺でも、日韓ワールドカップが開催されたことぐらいは印象に残ってるんですけど
安田感動を中島に台無しにされた大晦日の「INOKI BOM-BA-YE」から
その「2002FIFAワールドカップ」まで、およそ半年なんですね。
このたった半年でマット界、バンド、田の浜の実家に一体、何があったのか?!
これほど、刺さる人には刺さるけど、それ以外の人にはクソどうでもいい
ここまで読み手を限定する文献は世界でも類を見ないんじゃないかと(笑)
-目次-
- 2002年ってどんな年? -世間の脚光を浴びたいって思ってる割には、世間のことあんまりよく知らないバンドマン-
- 立役者が揃いはじめる格闘技ブーム夜明け前
- U-FILE CAMP
- 観に来てくれる人々が現れた、、!
- 全国各地から下北沢に集まってきた腕っぷしの強いバンド自慢達
- 兄弟/bluevery
- 1Kに男3人? 甘いよ。1ルームに男4人じゃなきゃ
- 客が5人のレミオロメン
- すげー曲ができたかもしれない!
- 冬の時代
2002年ってどんな年? -世間の脚光を浴びたいって思ってる割には、世間のことあんまりよく知らないバンドマン-
この2002年上半期は、世間一般でいうと
ゲーム機「Xbox」が発売され、ゆとり教育がスタートしたそうですが。
全っ然、印象にありません。
それどころか親になった今、次男にスターウォーズに因んだ名前をつけるくらいのフェイバリット映画になった
その五作目「スターウォーズ・エピソード2/クローンの攻撃」が全米で公開され、この時期日本でもガンガン宣伝してたであろう事すら全く印象にない。
世間の脚光を浴びたいって思ってる割には、世間のことあんまりよく知らないっていう(笑)
立役者が揃いはじめる格闘技ブーム夜明け前
2000年代、空前絶後の格闘技ブームが起こりましたが、ソレっていつからでしょうか。
人によって意見はさまざま
あるいは「そんなのどうでもいい」という声がやはり大多数なんでしょうか(笑)
でも子供の頃からマット界を追ってきた者としては、この時期を振り返る上でスルー不可避な事柄なので、いちファンとして考えを述べさせてもらいます。
俺からしたら、安田忠夫フィーバーが起こった2001年大晦日の時点で充分、格闘技ブームなんですよ。でもあくまでも、それは俺らプロレス者の中だけでね。
まさか、あんな日本列島を全部巻き込んで。みたいなブームになるなんて全く予想してませんでしたから。
そのブームの立役者達がこぞってメジャー団体に登場し始めたのが、この2002年上半期なのかなという所感です。
1月18日/武藤敬司、小島聡、ケンドーカシン、新日本プロレス退団を表明。当時オーナーだったアントニオ猪木の意向で(と言われている)これから新日本は格闘技に寄せ始めますよ〜という路線変更に対する灰汁ですね。武藤が辞めるって相当ですよ。いや、とんでもないことが起きたなと思いました。
2月1日/札幌 猪木問答。武藤達が辞めてからのこれですから。これを「格闘技ブームの真っ只中に起きた出来事」とする文献を見かけたことがありますが個人的にはブーム夜明け前に起きた出来事として捉えています。
2月11日/K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント。魔裟斗が全国ネット地上波で大々的に取り上げられた最初の大会だと所感しています。
4月28日/「PRIDE.20」ミルコクロコップvsヴァンダレイシウバ初対決。この大会でブームの顔の一人であるボブ・サップがPRIDE初登場を果たします。まだ世間の話題にはなっていません。
5月11日/K-1 WORLD MAX 2002 世界一決定戦。魔裟斗が準決勝で敗れてしまう、というところも応援したくなる要素のひとつだったのかも。
6月23日/「PRIDE.21」高山善廣vsドン・フライ。これは世間的にはどうだった?!でも間違いなくマット界史上に永遠に残る伝説の試合です。この大会でエメリヤーエンコ・ヒョードルがPRIDE初登場を果たします。もちろん世間の話題にはなっていない。
たった半年でこれです。
この後、8月28日、アントニオ猪木が全面協力した「Dynamite!」でのノゲイラvsボブサップが爆発してブームは加速した。という所感ですね。
U-FILE CAMP
ここ登戸にも、格闘技ブーム夜明け前の燈が灯っているだと・・?!
週刊プロレスの小さな記事に釘付けになり
職場「ライフ」最寄りのファミリーマートの雑誌コーナーでしばらく震えていました。
2月24日「PRIDE.19」に初登場し
ヴァンダレイ・シウバと死闘を繰り広げた″赤いパンツの頑固者″こと田村潔司大先生
その田村潔司大先生の設立した格闘技道場「U-FILE CAMP」というジムが
ここ登戸にあるらしい・・!
一度だけに″拝み″に行きました。
ちょうどこの頃、俺を追うように再上京してきたカズくんと2人で
しかし、その聖地に入会しようという気なんか全く起きませんでしたね。
だって小学生の頃、Uインター期待のホープとして、ボクサー相手の異種格闘技戦に駆り出されてる頃から
昨年「UWFのテーマ」で入場してきたヘンゾ・グレイシー戦までの歴史を拝見させていただいていたわけじゃないですか。
気軽に跨げませんて。
しかし、まさか数年後。この赤いマットにゲロを吐いてしまうほどボコられる日が訪れるなんて・・
観に来てくれる人々が現れた、、!
まさに天地変動の如し、2002年上半期のマット界だったわけなんですけど
我々BOSTON⭐︎CLUB BANDから見えていた景色も、たった半年で全然違う見晴らしに変わりました。
前年は″オープン初日″ だけ行列は出来たけど、それっきり閑古鳥の悲しきラーメン屋さんのごとく、友達が引き潮と共にサーッと来なくなり終わりましたが
明けて2002年早々、ライブに来てくれる存在が現れ始めます。
きっかけは対バンの人達が行っていた終演後の「アンケート回収」
メアド目的なんだけど、感想とか聞きたいので実施してま〜す。という″テイ″にしていた
当時もっともポピュラーだったアレです。
コレが功を奏しまして
俺の記憶が確かならば、2002年の1月に下北沢屋根裏で対バンした「ほたる」のボーカル河奈さんの友達の方々
この方々、、、「TEAMウリさんモリさん」と今回だけ仮名を付けることにします。
この人達がずーっと来てくれるようになるんですけど、ここが発火点だったようにも思います。
このTEAMウリさんモリさん(仮)の出現以来
芋づる式に、来てくれる方々や、知り合いのバンドが増え続けました。
この下北沢には全国各地から、俺らと似たような志を持った腕っぷしの強いバンド自慢達が集まってきており
数店舗あるライブハウスの狭いスペースは毎晩、まるで″全国大会″の様相を呈しておりまて
この2002年上半期、たった半年で多くのバンド自慢達と出会いました。
それぞれ少し紹介しましょう。
※ちなみに「TEAMウリさんモリさん」とは今でも割と交流があるんですけど。20年近く経った今でも交流が続いてる要因は、メンバーと、この方々が誰ひとりとして恋愛沙汰にならなかった事だと思いますね(笑)
2002年1月25日/まだジャージを着ている。駆け出しの名残り。
全国各地から下北沢に集まってきた腕っぷしの強いバンド自慢達
このシーズンに知り合い。それなりに付き合いが続いたバンド達を少し紹介したいと思います。
そんな精鋭は以下の通り(出会った順)
- スネアー
- LUNKHEAD
- grass hopper(のちBOO BEE BENZに改名)
- ほたる
- 髭
- Primal Stomps
- カンパネルラ
- bluevery
多くの繋がりをもたらしてくれた「ほたる」
前項でも述べた「ほたる」(ボーカルの河奈さんは、のちにYucca結成)は、TEAMウリさんモリさんだけじゃなく、多くの繋がりをもたらしてくれました。
メンバーの半数が専修大学出身のため同大学出のバンドとは、たくさん知り合うんですけど
その中でもクルーナーというバンドのボーカル「池しん」は俺の職場「ライフ」最寄りのファミリーマートでバイトしていたので、俺が週プロでU-FILE CAMPの記事を発見して震えていた時にレジにいた可能性があります(笑)
そのため知り合ってからは、ほぼ毎日顔を合わせるようになります。ライブはお互い1、2回くらいしか行ってないのに(笑)
そして何といっても専修大学バンド勢のひとり佐伯静佳(旧姓)は、俺がのちに加入するコーチガリーのスタッフを寿退社までずっと務めてくれました。無給・モラハラ・セクハラによく耐えたよ(笑)
今でもメジャーの世界と闘っているLUNKHEAD
今さら俺がここで宣伝する心配がないくらいのバンドです。
ランクヘッドは全員、同い年で。知り合った時点で、お客さんもたくさん付いていてインディーズアルバムリリース目前、みたいな勢いのある時期だったんですけど。
全然、驕り高ぶってなくて、ホント良い奴らを絵に描いたような良い奴らでした。
ライブにもよく来てくれたし。一緒に合コンも行ったし(笑)
下北沢ガレージのホームページには、当時のスケジュールが今でも残っていました!!
2001年12月29日/LUNK HEAD、grass hopper、スネアーと初対面
近所に住む先輩/髭(HiGE)
髭(HiGE)もランクヘッド同様、今でもメジャーと闘うバンドなんですけど。
出会った当時は同じ登戸在住で。プライベートで一番よく会っていた人達だと思います。
特にボーカルの須藤さんは、俺が働くライフの斜め向かいのライオンズマンションに住んでいて
「池しんのファミマ/須藤さんのライオンズマンション/俺のライフ」いわゆる「三角地帯エリア」を歩いていると頻繁に須藤さんに遭遇するんですね。
すると「おい!たまには先輩風吹かせろよ」って毎回、池シンのファミマに連れてかれてアイスを奢らされるんですよ。
奢ってくれるんじゃないんですよ!?奢らされるんですよ(笑)須藤さんって四つ歳上で、しかも俺ライフで極貧生活なのに・・
あんなにステージ上とプライベートのギャップが凄い人も仲々いないですよ。
2002年1月25日/髭とPrimal Stompsと初対面
同じ釜のメシを食うことになるカンパネルラ
ランクヘッド企画「みかん祭り」ではじめてカンパネラを観た時は、そこまで密な間柄になるとは思ってませんでした。
特にボーカルギターの津崎さんは「下北沢でプロレス通って言ったら津崎か岡市だろ」って、、、呼ばれたことないけど笑。そのくらいのプロレス者で。試合もよく一緒に観に行きました。
そしてドラムのエノさんは後年コーチガリーに加入し同じ釜のメシを食うことになります。
スネアーとPrimal Stompsは戦友、、っていうか、もはや「同僚」だね
同じコールセンターで働くことになるので真の意味で同僚になるんですね(笑)
元・同僚
- スネアーのボーカルギター/テツロウ
- Primal Stompsボーカルギター/白石さん
- Primal Stompsドラム/フリーク
俺をコールセンターに紹介してくれたテツロウはスネアー、ナミノネ、AFRICAEMO(アフリカエモ)と渡り歩くんですけど
特にスネアーとナミノネはテツロウ以外のメンバーにもお世話になりましたね。
ドラムのマコリはライブの打ち上げに必ずいたし。キーボードよしこママは、なんと震災後に田の浜まで来てくれたんですよ。
同僚のもうひとり白石さんは
当時、福岡県大牟田市から3人組で出てきたばかりで。20年近く経った今でも2児のパパをやりながら当時と変わらない熱量でずーっと音楽活動しております。
居るだけで周りの空気が変わる大人物ですよ。白石さんが休んだ日の朝礼はコールセンターに覇気がなかったもんね。
Primal Stompsのドラム/フリークは年齢も俺の一個下で、コールセンターにも俺のあとから後輩として入ってきたのでフリークには先輩風吹かせまくったなぁ(笑)彼にとってどうしようもない先輩のうちの一人でしょうね、俺は。
ライバル「grass hopper」と「bluevery」
この2バンドは、下北沢ガレージブッキング田中さんから「スリーマン(3バンドだけでのライブ)やったら盛り上がりそうだね」とよく比較されていたバンドです。
grass hopperは俺らと同じ3人組で(のちBOO BEE BENZに改名。山ちゃん加入で4人組に)
登戸の隣の隣「狛江」に住んでいたので、ライブ後よく小田急線で一緒に帰って来てました。
ベース/新田がライブに出るのにベースを忘れてきたというエピソードを超えるエピソードに未だ出会ってません。
blueveryは「地方出身の同級生同士で組んでるバンド」という共通点がありました。
彼らは4人組なんですけど茨城県出身で。髭(HiGE)同様、プライベートでよく会っていましたね。
広い意味で″兄弟″みたいな、そんなバンドです。
兄弟/bluevery
blueveryには俺らと同じもうひとつの共通点がありました。
貧乏なのは、どのバンドも一緒なんですけど、blueveryは俺と同じく
男数人で共同生活していると・・
彼らも彼らとて、ガレージ田中さんから
「全員、岩手出身で。すっげービンボーで。男数人で暮らしてて、、」って俺らのことを聞かされていたらしく
会う前から、互いにシンパシーを感じていたんでしょう。
はじめて対バンする日、楽屋に入るなりハイタッチを交わした俺らに時間は必要ありませんでした。
2002年4月10日/blueveryと初対面
早々に「俺らもビンボーなら負げねえがらなあ」と
茨城訛り全開で息巻いてきたので
とりあえず、どのくらいの間取りの部屋に、何人で住んでるのか聞いたら
「1Kに、男3人だぁ」っていうから
甘いな!
ウチは1ルームに男4人だぞ!って(笑)
1Kに男3人? 甘いよ、1ルームに男4人じゃなきゃ
入居者は4人に増えていました。
再上京してきたカズくん諸々、ぞろぞろ転がり込んできて。もちろん大家にも不動産屋にも断ってるワケがない
そして早いものでクソ物件「クライアント宿河原」での生活も、2年が経とうとしており、ちょうど契約更新を済ませ、セカンドシーズンに突入したばかりでした。
家賃5万2000円
これを4人で割ると一人、1万3000円!!
光熱費も4人割りだから、それを足してもせいぜい1万5000円ちょい。あとは携帯代くらいでしょ、必ず発生する費用って。
これだからやっていけたんですよね。時給820円のライフのパン屋さんで、月々/11万円台の手取りでも。
食費なんか、ほとんど裏で隠れてパン食って済ませてたし。
そして男4人暮らしなので″自分自身とコミニケーションする時間″を設けることが困難になり、見つかったりするリスクもあるんですけど
時間をバンドにめちゃめちゃ使う事が出来る16時上がりの薄給パン屋でも何とかやっていけてるのは、この「不法滞在者の集まり」みたいな暮らしのおかげですから
自慰に腹は変えられない。
客が5人のレミオロメン
16時でライフのパン屋を退勤したあと
バンド練習が無ければ、タカノリの家に行って曲を作ってるか、特に用はなくても下北沢ガレージに頻繁に行ってました。
早めに行くとフライヤー折り込んでくれるし(その日、お客さんに配られる広告群にチラシを入れてもらえる)たまに折り込み作業を手伝ったりして
こうやって媚を売っていると(笑)良いことが起こる確率も上がるもので、ブッキングの田中さんが色んな人を紹介してくれるんですよ。
その日もただフライヤーを折り込みに行っただけなんですけど「ゲストで入れてあげるから観ていかない?」と
ライブフロアへ下がると、お客さんは5人くらいしかいなかったんですけど
出てきた「レミオロメン」というバンドのあまりの演奏力の高さに度肝を抜かれて
曲もめちゃくちゃ良いし、CD買っちゃいましたよね。すげーいいバンドだなあって
終演後、田中さんから紹介されてメアド交換して「今度、自分らが企画やる時、出てくださいよー」って
後日、いろんなバンドの人達に、このレミオロメンのことを話したら知ってる人もいて
「ああ、あんなの出来レースだよ」って
あれ?あんまり評判よくない(笑)
何やら、もうすでにデビューに向けての態勢はすでに整ってて。ライブ会場には、たまに後にプロデュースをする小林武史も来てると
数年後、ラジオから流れる「粉雪」をバイト中に聴いた時は、絶望的なほど遠くに行かれてしまった現実に ″1リットルの涙″を流しましたよね。
すげー曲ができたかもしれない!!
未来の有名バンドが、5人のお客さん相手に披露した圧巻のステージを思い出しながら
今日もパンをこね、定時の16時にライフを出ると
タカノリから連絡が来ました。
「仲々良いのが出来たかもしれない」と
そのまま自転車でタカノリのアパートに向かうと
ギター持って鼻歌で♫nhmnhmnhmhmhmhmh〜と、やってました。
Am/C/D/E という定番の循環コードに、印象的なリフと、ぼんやりしたメロディが乗っていて
でも「どうしても歌詞が出てこない」というのです。
そのまま、ある程度のところまで聴かせてもらった時に思い付きました。
「こういう曲は意味とかどうでも良いんだって!ちょっと貸してみて!」と
ノートとペンを借り、直感に従って響き重視で
支離滅裂な歌詞を5分くらいで書き上げたんですけど
こうやって完成したのが、この2002年12月に発売される若手バンド中心のコンピレーションアルバムに収録されることになる「レディオスター」です。
このマサ斎藤Tシャツがジャージ脱却後のライブ衣装でした。
冬の時代
2002年上半期
マット界は完全に格闘技が支配しはじめており、プロレスは冬の時代と呼ばれるようになります。
良くも悪くも、荒れに荒れた磁場が狂わせたものは
マット界や、下北沢ライブハウス界隈、、
そして我々BOSTON☆CLUB BANDに限った話ではありませんでした。
下北沢ガレージから北に557キロ離れた
岩手県下閉伊郡山田町船越
父親が、田の浜の実家を出て行ったそうです。
つづく
次回「壊れゆく実家にわき目もふらず夢に向かって走り、野望のためなら手段を選ばず友達を切ることさえ厭わない俺は人としてクズなのか」←読めます。
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この記事を書いた人
岡市 尚士
ブラジリアン柔術黒帯。第17回茶帯全日本ブラジリアン選手権大会優勝。茶帯全日本マスターズ選手権優勝、茶帯全日本ライトフェザー級2位、JBJJF全日本マスターズ選手権マスター1紫帯ライトフェザー級優勝、全日本コンバットレスリング選手権大会/58キロ級3位、レスリング岩手県高総体/52キロ級準優勝、レスリング岩手県民体/56キロ級準優勝、レスリングジュニアオリンピックカップ/48キロ級3位と多彩な実績を持つ。
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