岡市 尚士
お前ら、負けて逃げるんじゃ。わしらを裏切って逃げ出していくんじゃ。そのことだけはようく覚えておけ 「プロレス好きのバンドマンが柔術黒帯になるまで/第160話」
それなりに人間をしばらくやっていると
うまくいっていない時とか「もしも、人生のリセットボタンがあったら押したい」って
おそらく、ほとんどの人が思ったことあるのではないだろうか
「ウチで働いてみないか? 戸井田カツヤ」
瓦礫上をダラダラ歩いてる時、突然来たこのメールが俺にとってはまさにそのリセットボタンだった。
被災してから二ヶ月
周りや世間が次のフェーズに向かって、そろそろ動き出している中、いまだに被災直後のバージョンのままダラダラ瓦礫上の毎日を過ごしている、それどころか
前記事「再興に向かってのこの期に及んで、なに柔術がやりたいだなんて吐かしてんだよ俺は〜瓦礫上で渡されたブラジリアン柔術紫帯〜」において
タイトルまんま、この期に及んで柔術がやりたいだなんて吐かしている俺にとっては
「ウチ(道場)で働いてみないか」は
もう神展開以外の何物でもなく
ぅぉおおお押してえええええええ!!!!
そのリセットボタン、今すぐ押してえ!!
正直、それが第一感だった。
しかしこのリセットボタンを押すこと
それはすなわち
「田の浜を捨てること」でもあると思った。
「家も流され、職も失い、出稼ぎのため上京した」
そう言えば聞こえはいい
しかし実質、逃げていくようなもんだ。
みんなでこれから泥水をすすりながら生きていこうとしている人生から、俺だけ甘い蜜をすすりに逃げていくようなもんだ。
その反面では
たった20秒ズレていただけで奇跡的に助かった命
これは神様が与えてくれたボーナストラックなのだという、そんな都合の良い考え方も沸いてくる。
そして何より俺には不平不満を押し殺し、強く生きていこうとする逞しいメンタルが全く無いことが、この数ヶ月でよく分かった。
胸を張って言う事ではないが「俺は卑怯で弱い生き物なのだ」と、堂々と胸を張って言える。
バンドマン時代末期、ひそかに尊敬の対象としていた岩手県の偉人・宮沢賢治は「雨ニモマケズ」で
″雨にも負けず 風にも負けず
(中略)
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに私はなりたい ″
と詠っているが、俺みたいな人種はリア充の向こう側に辿り着いて、そこで生まれた余裕を使って初めて「私はなりたい」と志願できるようになるのが現実なのだろうと、己の弱さによって思い知らされた。
今の俺には無理だ。全力で断念する。
このように、人生のリセットボタンを前に
自己否定と肯定を繰り返し
己をあぶりだした結果、行き着いた答えは
それでも、やっぱり「柔術がやりたい」だった。
「東京に戻って、格闘技道場で働こうと思ってます」
突然そう言い出した俺に対し、周りの人達は
意外や意外、否定的な意見を誰も言って来なかった。
それどころか「オメェは充分やったぁ。あどは好ぎにやれ」とまで言ってくれる人も何人かいた。
いつものように、文句とか憎まれ口でも浴びた方が、よっぽど気がラクなのに
消防団、佐々木漁業協同組合、家族、親戚、同級生、山田レスリングクラブみんな快く容認してくれたのが、かえって申し訳ない気持ちを増幅させた。
こうしてトントン拍子に話は運び
ウチの祖母とユズルの葬式が終わったら東京に行く事になった。
東京行きが決まった途端
自分の中から色んな声が聞こえてくる。
津波の直前まで、柔術の練習に連れ回していた同級生ミッツ君もまだ行方不明のままなのに
それでも行くんだな。
ミッツ君の分まで、なんて一生言えないな。
俺は俺のために行くんだな。
そして今回の震災で頂いてしまった御恩
どうすんだコレ、一生かかっても返せねえぞ。
特に草柔会岩手代表・阿部宏司
被災後、誰よりも早くガソリンやその他物資を大量に車に積んで駆けつけてくれた。そんな阿部さんはじめ
高校時代からの盟友・横田毅
片山さん一家、草柔会岩手のみなさん、パラエストラ久慈さん(現アカデミア ラッソーナ)オーガフィストのみなさん、GRAACAさん
田の浜に帰郷した俺に対して、みなさんからの待遇は非常に良く感じられ
正直それに甘んじいた俺は、お世話になりっぱなし、助けられっぱなし、貰いっぱなしだった。
そんな岩手県格闘技界だって、これから大変な状況に入って行くっつーのに
それなのに俺はなにひとつ返さないまま
一人だけちゃっかり東京へ行くんだな。
そして先日、代々木フォレストのみなさんが田の浜にいらした際に義援金の入った募金箱を授かったのだが
箱の中身は、貧乏バンドマンなら一ヶ月は生活できるほどのお札入り封筒の山だった。
中島さんの封筒には「これキャバクラとかに使ってもいいから」と書いてあった。
凄い人だ。中島さんがもしも俺の立場だったらきっと田の浜に残るんだろうな。
そんな募金箱に手なんか付けられねえ。
とりあえず母さんのとこに置いてもらって、田口君がくれたジョイントマットだけあとで送ってもらおう。
そして東京に出発する前日
どうしても阿部さんに会いたくて
母方の実家・遠野市宮守村まで来ていたこともあり、近場の商業施設「MM1」まで来てもらった。
山と川に囲まれたMM1の休憩所で向かい合う俺らの間には半年前、忘年会でパンツvs全裸でプロレスごっこを繰り広げた二人とは思えぬほど、寂しい空気が漂っていた。
帰り際、代々木フォレスト柔術クラブより紫帯を授与されたことを報告し、これまで巻いていた「石田浩」と刺繍の入った青帯を渡して
「俺が仲良い人の中で次に青帯に昇格する人に渡して欲しい」とお願いしたのだが、それがいかにも別れのシーンぽくて余計寂しい気持ちになった。
東京へは深夜バスで向かうのだが
発着場である「道の駅やまだ」まで、片山さん一家が見送りに来てくれた。
片山家のみなさんは、こんな下品な俺に対していつも満面の明るさで接してくれる。
バスの窓ガラス越しに手を振り合って、快く送り出してくれる片山家のみなさんと。時折、脳内をチラつく「北の国から」の大滝秀治のセリフ
「お前ら、負けて逃げるんじゃ。わしらを裏切って、逃げ出していくんじゃ。そのことだけはようく覚えておけ」
その対比が凄まじい。
そう、俺は負けて、逃げるのだ。
岩手に残りこれから戦っていこうとしている人達から快く送り出してもらってはいるが
それは裏切って逃げていくことでもあるということを
いつまでも忘れてはならない
こうして俺は、一生降ろす事の許されぬ
東日本大震災の悔悟を背負い
東京へ経った。
つづく
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この記事を書いた人
岡市 尚士
ブラジリアン柔術黒帯。第17回茶帯全日本ブラジリアン選手権大会優勝。茶帯全日本マスターズ選手権優勝、茶帯全日本ライトフェザー級2位、JBJJF全日本マスターズ選手権マスター1紫帯ライトフェザー級優勝、全日本コンバットレスリング選手権大会/58キロ級3位、レスリング岩手県高総体/52キロ級準優勝、レスリング岩手県民体/56キロ級準優勝、レスリングジュニアオリンピックカップ/48キロ級3位と多彩な実績を持つ。
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