岡市 尚士
「餓死寸前のところで一旦増やし、戦って、また減らして。よくあれで死ななかったなっていう」 プロレス好きのバンドマンが柔術黒帯になるまで/第71話
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「みんな食べろ、食べろ!明日チカラ出ねえぞ〜!岡市くんは食べ過ぎんなよ〜。」
上野ルリ子夫人の明るい声が大広間に響いた。
明日の団体戦の前日計量を終え、上野邸に帰ってきた我々の目の前に運ばれてきた「おじや」
大型車のタイヤを彷彿とさせるその巨大な鍋に、みんな一斉に群がった。
その様子を俺は傍観していました。
食事を前にこんなにも箸が進まないのは、これまでを振り返っても、この時か、餃子の王将で大食いチャレンジした時くらいでしょうか。
「食わねえと勝てねえぞ」
そんなの俺がよく分かってる。この状態ではお母さんどころか、今はヘタしたらうちの婆さんにも負けるかもしれない。
「みんな同じだぞ?団体戦が終わってから個人戦の計量があるのは」と
なに?
それは違うね!大いに異議あり。
みんなそれなりに体重を落とてるっつっても、たかだか3、4キロくらい。そんな昨日今日で汗とオシッコで一丁あがりのヤツと、俺が落とした10キロを一緒にすんな!と反論する気力すらもちろん残っていない。
長い期間かけて地獄へのハシゴを一段ずつゆっくり降りてきて、昨日ようやく地獄の淵に辿り着いた。できれば最後の計量が終わるまではこの淵でジッとしていたい。
例えは悪いが、多額の借金をようやく完済し、激しい取り立ての日々からせっかく解放されたというのに。今晩また豪遊しようぜ!
まあ、その分すぐ返さなきゃならないんだけどね。
みたいなもんですよ。
でも何も食わないまま団体戦に出るのは絶対に許されない!という、大人の圧力の、かなりマジなやつの前に屈してしまって
禁断の箸を動かしてしまいました。
これで全4レベルだった減量(プレビギナー/ビギナー/アドバンス/エキスパート→詳しくはこちら)
これに新たなボーナスステージ。
5レベル目「アルティメット/Ultimate」が加わる事に・・・
どっちみち地獄が待っているんだったら。
せめて明日動けるくらいの最低限のエネルギーは蓄えておきたいもんなんですけど
じゃあ、そのためには一体、おじや″何杯分″が必要なのか?
困った事にここにいる誰もそれが判らないのです。かといって俺に食わせすぎて個人戦の計量が失敗しても誰もその責任を取れない。
ここはひとつ。一般的な憶測から「腹八分目と感じるまで」となったんですよね。
でも、これは″減量あるある″だと思うんですけど。計量クリアして、もう減量終わり!って解放された時って水一杯をゴクゴク飲んだだけでお腹いっぱいになったように感じるのに対して
精神がまだ解放されていない時のメシって、食べても食べても全然満たされない。この不思議な現象って何なんだよ!
それはこの時の「おじや」も然りで。こんな極限の状態でビビりながら食ったって腹八分目に近づいてるかなんて全然わかんねえっつーの!
せっかく数日ぶりの食事なのに。最悪だ。
結局5、6杯(約三合)くらい食べて。さすがにもうここら辺でやめておいた方がいいだろ。となったんですけど。
翌日、会場/宮古シーアリーナにて試合前のウォーミングアップで両脚タックルの打ち込みを始めた途端、激しく息切れし始め。フラフラになった。
これは「腹八分目作戦」が、はっきりした根拠のない、完全なる当てずっぽうだったという事の表れでしょう。
でも辛うじてウチの婆さんには勝てるぐらいには回復した。
しかしお母さん相手なら接戦かな?
10キロの無茶な減量に対して、5〜6杯程度のおじやなんてそんなもんだ。
これを完全なるリカバリー失敗と呼ぶ。
案の定、団体戦のvs盛岡工業戦。
俺は瞬殺された。
相手は一学年下の2年で。県合宿で練習した時とかスパーリング10回やっても10回は負けないくらいの選手。
それが確か1分以内でフォール(肩を1秒間マットに着かせる)だったかテクニカルフォール(10点差で終了)で負けた。
でも本番はここから。試合後すぐ道場に直行。
おじやと水分で2キロ近く増えていた体重を数時間後の計量までに落とせんのか?
道場の暖房をMAX設定で稼働させ
一個下の後輩・下村による、俺への密室凌辱が始まった。
普段なら負ける事はない下村が鬼に見えた。
もしかしたら日頃イタズラして泣かせてる恨みも込もってるのかもしれない。
下村よ。
お前のお気に入りのジーパンをノーパンで履いて社会の窓からHelloしてカタカナの「ト」を表現してゴメンな
シャワー後に履こうとしてたトランクスを奪い取って履いて、履いたままションベンしてゴメンな
円筒型プラケースの綿棒一式を肛門に入れてしまってゴメンな。イヤな役を引き受けてくれたよ。お前男だ。ありがとう!
介錯人に対し、懺悔のようにアレコレ考えていたら。
ぶっ倒れていた。
もし仮にここで俺が死んでしまっていたら介錯人を務めた下村の処罰的なものはどうなってしまうのか?
今、考えてもゾッとするが俺は生きていた。
そんな下村に連れられ計量に戻ったら、俺と同じように地獄の淵から這いつくばってきた男がいました。
水産チーム/横田毅(現・オーガフィスト代表)
横田君もまた地獄へのハシゴを一段ずつ降りてきて同じ52キロの淵へ辿り着いたのです。
これから21年。
ほとんどの人がそうであるように、俺もまた人並み程度の苦しみ、悲しみ、辛みを味わって。震災も体験することになりますけど。
この時、俺が成し遂げたアルティメットこと
「地獄の淵から2キロ近く増量し、そしてまた地獄の淵へ戻る」という神技。
個人的な苦しみでいうなら、これが文句無しでダントツのナンバーワンです。
生きてきた中で一番辛かった。
つづく
次回「衰弱した状態でボコられたその夜、好きなだけ飲み食いして復活して。翌日また同じ相手と戦ったらどうなるのか、やってみたよ!」←読めます。
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この記事を書いた人
岡市 尚士
ブラジリアン柔術黒帯。第17回茶帯全日本ブラジリアン選手権大会優勝。茶帯全日本マスターズ選手権優勝、茶帯全日本ライトフェザー級2位、JBJJF全日本マスターズ選手権マスター1紫帯ライトフェザー級優勝、全日本コンバットレスリング選手権大会/58キロ級3位、レスリング岩手県高総体/52キロ級準優勝、レスリング岩手県民体/56キロ級準優勝、レスリングジュニアオリンピックカップ/48キロ級3位と多彩な実績を持つ。
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